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投票所の「入り口」と「出口」から見える風景   [選挙]

 
 
選挙での棄権は「社会的変化の肯定と是認」

 先の衆議院議員選挙(2014年12月14日投票)の結果は、2014年を生きる日本人の多数派の意思を、明瞭に浮かび上がらせた出来事だったように思える。
 第二次安倍政権下の二年間で決定された様々な政策の方向性と、社会を飛び交う言葉や人々が示す態度などの社会的様相の変化に対して、明確に「イエス」と言う人も「ノー」と言う人も、現在の日本では少数派だった。
 投票率は、戦後最低の52パーセント台だったが、与党に投票した人、与党に反対して野党に投票した人、そして「自分には関係ない」と投票に行かなかった人の三集団に有権者を分けるなら、現在の日本における多数派は、三番目の「投票を棄権した人」だった。
 何かの動きが現在進行中の時、意見を聞かれて「別にどっちでもいい。自分には関係ない」と答えるのは、その動きの方向性とスピードを「今のまま続けてもかまわない」という「承認」を意味する。つまり投票を棄権した人は、その理由が何であれ、この二年間に日本国内で生じた様々な社会的変化を、棄権という行動をもって実質的に肯定・是認したことになる。
 言論人の中には、棄権もまた「政治への意思表示の一形態」として認められるべきだという意見を主張する人もいる。だが、本人は「政治的な判断を保留する」つもりで棄権したのに、実際の政治の世界では「現在進行中の動きの方向性とスピードを承認」した効果を持つという皮肉な現実を、果たして棄権した有権者は充分に理解しているだろうか。


「入れたい候補者がいない」という説明の欠陥

 選挙でどの政党に投票するかについては、二通りの考え方が存在する。
 一つは、既存の政党の中で自分の理想に一番合う党はどこか、という「投票所の入り口から見える風景」を基準とするもので、もう一つは選挙の結果次第で政治や社会がどのように変化するかを予測・想像し、その変化の方向性や速度を自分の思い描く理想に近づけるためには、どの政党に投票するのが一番効果的か、という「投票所の出口から見える風景」を基準とする。
 棄権した有権者の多くは、前者の「投票所の入り口から見える風景」に基づいて、棄権の理由を語っている。「入れたい政党や候補者が見当たらない」という説明がそれである。前者には、そんな「該当者無しの棄権」という選択肢もありうるかに見える。
 だが、後者の「投票所の出口から見える風景」にはそのような選択肢はない。政治が「走行中の車」だとすれば、後者はハンドルやアクセル、ブレーキの操作を意味する。「何も操作しない」ことは、今進んでいる方向に今の速度で走り続けることを「望んだ」ことになる。
 第二次安倍政権の発足(2012年12月)からの二年間、日本国内の空気はわずかずつ、しかし確実に変化してきた。日本人の美徳とされてきた「礼節と謙虚さ」は影を潜め、高圧的な「傲慢と居直り」に取って代わられた。恫喝や暴言が国の中枢部にいる要人の口から漏れるのも普通になった。人種や民族、性別など、人権を蔑ろにする偏見や差別を堂々と主張する攻撃的・排外的な言説が市民権を得、「日本」や「日本人」を礼賛する本や雑誌記事、テレビ番組が急激に増加した。
 上に列挙した国内の変化は、首相や閣僚、および彼ら・彼女らと親密な関係を持つ作家や評論家、政治活動家の言動と密接に結びついている。だが、古今東西の戦史や紛争史を調べれば、自国礼賛や民族主義の勃興、特定の他国や他民族への敵意の扇動、そして人道や人権よりも国家体制を優先する傲慢な思想の隆盛が、その後の「動乱の道」へと続いた例は数多い。

 過去と現在と未来は、途切れずに連続している。この国が将来向かう「未来」を知りたければ、まずは過去から現在へと進んできた「変化の方向性とスピード」を認識しなくてはならない。


(初出・2014年12月19日付東京新聞夕刊)※一部修正しました。

(c)2014,2016, Masahiro Yamazaki. All Rights Reserved.

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