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安保法制問題で露呈した「四つの問題点」 [社会問題]

 
 
 現在国会で審議されている安保法制をめぐる議論は、後世の歴史家の目には、おそらく「異常な事態」と映ることだろう。国権の最高機関である国会で、戦後七〇年堅持されてきた国の進路を大きく転換する動きが日々進行しているにもかかわらず、事態を歴史的な文脈で捉えた論理的・理性的な議論がほとんどなされず、むしろ論理学上の「詭弁術」の教科書に載せられるような典型的な「詭弁」を、首相や大臣が平然と口にしている。
 首相や大臣は、論点を拡散して議論を混乱させるためか、次々と「具体例」や「個別の解釈」を提示しては、それと全く異なる例と解釈を数日後に述べるような行動を繰り返している。例えば、首相は五月二十日の党首討論で、他国領域での武力行使について「武力の行使や戦闘行為を目的に海外の領土や領海に入ることは許されない」と明言したが、官房長官は五月二十五日の定例記者会見で「他に手段がないと認められる限り、誘導弾(ミサイル)等の(相手国内の)基地を叩くことは法律的には自衛の範囲に含まれ、可能である」と説明、防衛相も五月二十六日の閣議後の記者会見で同趣旨の説明を行った。
 こうした一連の流れを俯瞰すると、現政権の重大な問題点が浮かび上がる。
 その問題点とは、大別すると(1)現実認識能力の欠如、(2)対外交渉能力の欠如、(3)人命軽視の思考、(4)憲法と立憲主義への侮蔑、などである。


(1)現実認識能力の欠如

 まず「現実認識能力の欠如」について。首相や防衛相は、自衛隊の派遣は「後方支援」なので「自衛隊員のリスクは増大しない」と説明している。だが、実例として挙げる戦場のイメージは、「危険な前線と安全な後方」という「第二次大戦型」の古い内容で、現代の戦争で兵士がどんな事態に直面するかという「現実」にまったく合致していない。
 実際には第二次大戦でも、後方の補給線は陸上・海上の両方で「敵」の重要な攻撃目標となり、ゲリラの襲撃や航空機による爆撃、潜水艦による通商破壊戦などで、大勢の「後方部隊の軍人」や「民間の船員」が命を落とした。だが、戦争映画では最前線での射撃戦や空中戦が多く描かれるため、そうした実相は一般にはあまり知られていない。
 それに加えて、現代の戦場では以前とは全く異なる形で、後方部隊が被害を被る事例が激増している。火薬の詰まった砲弾などの信管を携帯電話と接続し、あらかじめ道路などに仕掛けた上で、標的が通過するタイミングに合わせて遠隔操作で爆破する「即席爆発装置(IED)」がそれである。二〇〇一年十月から二〇〇八年十一月までの七年間に、アフガニスタンで死亡した米軍と多国籍軍兵士の約四割(二九〇人)が、IEDによる死亡者だった。また、運良く生き延びても、爆発時の衝撃波で脳の損傷(TBI=外傷性脳損傷)を受ける場合があり、米国防総省の調査ではTBIの患者数は一四万人に上る。
 首相や防衛相は、「敵が撃ってきたら安全な後方へ逃げる」等の形式的な説明を繰り返すが、補給物資を輸送中の自衛隊の車両が、突然「道路の爆発」で吹き飛ばされる事態が発生すれば、逃げる逃げないという以前に、乗員はもう死んでいる可能性が高い。


(2)対外交渉能力の欠如

 次に「対外交渉能力の欠如」について。いったん当事者として参加した戦争や紛争を、講和や協定という形式で収束するためには、自陣営の要求を主張するだけでなく、相手陣営の要求を聞いて内容を理解した上で、必要な範囲で受け入れる判断力が、国の指導者に要求される。しかし現政権は、安保法制の議論でも沖縄の外国軍基地問題でも、歴史認識問題でも原発再稼働の問題でも、常に「一方的に自陣営の要求を主張する」だけで、異議を唱える相手陣営の主張を理解したり、それを受け入れる判断力を持たない。
 沖縄問題では、首相も官房長官も「辺野古移設が唯一の解決策」との自説を繰り返すだけで、「新基地建設に反対」という県知事と県民が提示する論点には一切目を向けない。隣国との政治的関係が悪化しても、外交で事態を好転させる努力をほとんど示さない。
 こうした状況は、現政権には「利害衝突を交渉で解決する能力がない」ことを示しているが、安保法制がこのまま成立すれば、そんな「紛争収束能力を欠いた政権」が、従来は認められていなかった「戦争や紛争に主体的に参加する権限」を手にすることになる。


(3)人命軽視の思考

 三番目の「人命軽視の思考」は、先に挙げた「現実認識能力の欠如」とも関連するが、法案が成立して自衛隊の海外派兵が実現すれば、自衛隊員の命のリスクがどれほど増大するかについて、首相も防衛相は真剣に考えようとしていない。リスクとは「あるか、ないか」の二分法ではなく、政策によって変動するリスク総量の増大や減少と、リスクを「敢えて取る」ことに見合う価値がどの程度あるかというバランスを対比させながら、立体的に査定すべきものだが、首相や防衛相は「自衛隊員には今までもリスクはあった」「自衛隊員はリスクを覚悟して入隊したはずだ」等、一貫して「あるか、ないか」の二分法でしか答弁しない。
 挙げ句の果てには、民主党・辻元清美議員の「人の生き死にに関わる問題です」との言葉に対して、首相が「大げさなんだよ!」と言い放つ(五月二十八日)。自分が今、国会で論じている問題が「人の生き死にに関わる問題」であると、首相が理解していない。


(4)憲法と立憲主義への侮蔑

 四番目の「憲法と立憲主義への侮蔑」は、国会に招致された参考人三人を含め二〇〇人を超える憲法学者が「現在の安保法制は憲法違反」と指摘しているにもかかわらず、憲法の専門知識もない大臣や官房長官が「問題ない」と耳を塞ぐ頑なな態度が示している。立憲政の国で、権力者が憲法を逸脱した権力行使を行うことを、一般に「クーデター」と呼ぶ。そして、これらの四つの問題点はいずれも、先の戦争で日本を破滅へと導いた戦争指導者の特徴とも重なり合う。

 現在の日本は、首相が安保法制や憲法改正の根拠として提示するような「外的要因」ではなく、首相と大臣がその役職に相応しい能力を持たず、同じ考えの集団内でしか通用しない「内輪の論理」に従って憲法の枠組みさえ踏み越え、国の方向性を集団の力で強引に変更するという「内的要因」によって、深刻な「国家存立危機事態」に直面しているのである。


(初出・『神奈川新聞』2015年6月12日


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